2020.12.05


12月になりました。

幼い頃はサンタさんを信じていましたのでウキウキしていました、理論云々よりも信じたい気持ちが大きかったのだと思います。信じたかったものは何だったのでしょう?サンタさんの存在そのもの?プレゼントがもらえること?やさしさを無下にしたくなかったという気持ち?年齢とともに変化があり、信じていたにもかかわらず欲しかったものはプレゼントされず、むしろまったく興味のないものをプレゼントされていました。サンタさんが鑑識眼を持っていなかったのか、これで良いのではないかという希望的観測だったのか、予算上の都合だったのか、優しさの強要か。サンタさんも大変そうです、子どもも大変です。さらにはおもちゃ屋さんも大変です。

信じなくなってからの方が両者にとって良い結果というのは皮肉ですが、サンタさんに直接交渉できるようになってからはプレゼントは図書券になりました。昔はたくさん本屋があったので何を購入するか図書券を持って一日中本屋巡りをしていました。たぶん暇だったのでしょう。懐かしくなって当時徘徊していた付近をグーグルマップで広げましたが、すっかり様変わりしており自分の知っている土地ではなくなっていました。そんなもんだよね。ああ、頭の中でよみがえる当時の本屋よ!そして図書館、学校の図書室!貸出の際に本の代替として置くプラスチックのあれ(わかる?)きっと小学校も様変わりしているんだろうな、安部先生元気かな。影の薄い生徒でしたので、どこかで偶然すれ違ってもお互いに気づかないことでしょう。

今となってはクリスマスも正月も商業的なイベントと捉えており、ただ寒い季節が始まるという気分です(なんてつまらない大人だ!)。おおよそ読みたい本は購入できる経済状況でもありますので一日中本屋で悩みながら過ごすことも、イベントを待つ必要もありません。経済事情は大きく変化しましたがあいかわらず同じバカです。何と表現してよいのやら、同じベクトルのバカなのです。例えば人とのコミュニケーション、ずっと下手。苦手という自覚はありつつ興味もあり、その類の本を読んだりしたこともありましたが克服できていません。実践が甚だしく不足しているのかもしれません。しかしここで、「わかった、サンタさんを信じてサンタさんと会話の練習をしよう!」なんて宣言すると、現実世界でのコミュニケーションがより困難になりそうです。練習しようとする努力が状況をより困難にするとはなんということでしょうか。服を買いに行く服がない、と同じくらい厄介、絶体絶命的状況です。でもサンタさんが願いを叶えてくれるのであれば表に出る必要はありません。逆の発想でファッションが流行らないことが流行りますように、という願いが良いかもしれません。あれ、サンタさんってそんな存在だったっけ?

ところで一般的に人の目はRGB(赤、緑、青)、猫の目はGB(緑、青+紫外)の錐状体があると言われています。つまり、猫にとってはサンタさんは灰色に見えるということです。間違った、サンタさんではなくサンタさんの服が灰色に見えるですね。